お友達の贈り物を探しに出掛ける。
ちょっとそこまでなのにナビを合わして車を走らせる。
田舎道でも自分で運転しないと覚えられないものだな。
特に私は・・・。
何にしよう。
~自分だったらこんなのが欲しい~
その基準で選んでいるので贈られた方はどうだろう。
喜んでくれるといいけれど。
すごく感じのいい親切な店員さんが居て
商品の説明を手書きで作ってくれた。
とても可愛い字で。
こういうのさらっと書けるようになりたい。
子たちが独立したら
また学ぶということをしてみたい。
何を学ぶかはまだ未定。
今のうちにチョイスしておこう。
~自分で選ぶ~
あれこれ悩むより
選択できる岐路にいることに
まず感謝すべき。
世界には、選ぶことを許されない理不尽な現実がたくさんあるのだから
”選べる”ことは何よりの幸せだと思う。
この言葉が好きで
自分の仕事ノートにメモしている。
ちょっと躓いた時にこの言葉を思い出すと
すごく前向きになれるので。
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<消極的なYESも自分の選択だった>
積極的に選びとったわけではなくても
少なくとも
NOと言わなかった自分がいる。
NOと言わなかったから
物事がある方向に流れた。
その結果今の自分がいるとしたら
自分が決めたわけじゃないといえるだろうか?
NOと言わないということが消極的な意志表示になると考えれば
誰かに決められたわけではなく
やはり自分で決めた結果ということにならないか?
積極的決断ではないかもしれないけれど
消極的な決断を下してきたってことになる。
もっと言えば
明確な決断をしないことで
流れにまかせるという決断をしているわけ。
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2024年の一冊目に読んだ本の中で
心の残った頁~再チャレンジ~より。
確かにそうだなと自分に当てはめてみる。
自分はなんだかんだ言っても
自分が思う方向を選択して生きてきたような気がする。
それが良かったか悪かったかは別として
後悔は少ないような気がする。
年を重ねるに連れて妥協することも少なくなった。
時間が有限であると
実感し始めたから。
今日もめいいっぱい生きた。
明日もそうありたい。
年末に頑張って捌いた鯵。
冷蔵庫に綺麗に眠らせていた。
夕飯のアヒージョにたっぷり使った。
頑張った甲斐がある。
<あ~美味しい>と有り難く頂く。
今年に入り少し忙しかったけれど
なんとなく落ち着いてきた。
そして、家に目が向いていなかったことに気づく。
掃除が出来ていない。
そろそろすっきりを始めよう。