先日読んだ『おとなになってはみたけれど』より。
大事な人との別れがあり自分の最後はどうだろうかと考えるようになったと。
〜今日を生きるが現実になってきた〜
娘が高校生になり、わたしの大事な人が亡くなったことも理解できる年になったので
思いつくことをその都度、話をしておくようになった。
『あとで』はなし。
いつなんどき、どうなるかわからないから、
そうなったときに困らないようにと
お金のこと、家のこと、お葬式のこと、お墓のこと、
大切にしている身につけるものなど、とにかく話しておこうと思っている。
筆者の飛田さんのこの『あとで』はなしの心が響く。
最近私も息子と娘に敢えて言わずにきたことを
受け止める事ができる年齢になってきたなあと感じて
ぽろぽろと話している。
笑いながら話したり、真剣に話したり・・・etc。
実際に話をして知ってもらうと楽になる。
隠すと変に違う解釈をして気持ちにすれ違いが出たり
それを軌道修正するのに無駄な労力がいる。
そんな時間が勿体ない。
それなら素直に伝えておこう。
年々時間が有限であると感じているのでそうしている。
今のところ話すことはいい流れだなと感じている。
今日のメニュー。
あなご丼。
小鉢に切り干し大根、さつまいもの甘露煮。
ワカメの味噌汁。
今週のメニュー。
土 アボカドとサーモンのユッケ丼
日 鯛の煮付け
月 ガーリックトンテキ
火 あなご丼
水 カレーライス
木 いなり寿司
金 ランプステーキ
週末の買い出し習慣が続いているおかげで
<今日の晩ご飯何にしよう>と悩むことがなくなったので
仕事が終わり家に帰るまでの時間がスムーズ。
決まったメニューを作り
ゆっくり夕飯を食べて
~あ~今日も一日無事に終わった~とひとり安堵する時間がもてる。
幸せだ。
いつものウォーキングコースも
春です。